キューバ備忘録

ただ、筆者が旅を通して感じたことです…。お時間があれば。

目を見て話せるキューバ人

筆者は人の真正面に座り、目を見て話をするのが苦手です。全然目が見られないわけじゃありませんが、なんとなくいつ視線を外していいのか分からず、話に集中できないのです。しかし、キューバに数日滞在して気がつきました、、、キューバ人とは目を見て話せる!と。理由ははっきりわかりません。でもきっと、彼らの話し方と視線がいつだってまっすぐすぎたからだと思います。政治の話をするときでも、家族の話をするときでも、おすすめのクラブの話をするときでも、彼らはただ自分が伝えたいことをそのままものすごい勢いで伝えてきます。日本人の会話のリズム感はかなりゆっくりで、相手の反応を待ったり、結論をすぐには出さずに丁寧に会話を進めていく。一方で、キューバ人の話し方は言わばボクシングのインファイト。思えば、筆者は自分の意見をかなり強く持っている頑固者なので、日本人特有の間が苦手だったのかもしれません。かと言って、キューバ人の彼らの会話に追いつくにはもっと脳みそを動かしてスペイン語を上達させなければならないのですが、、、。

資本主義と社会主義とキューバと

筆者は資本主義にずっと違和感を覚えている人間です。この世の中なら一度は皆考えることでしょう。しかし残念なことに自分は、資本主義のここを変えなければならないとか、こうした方がいいとか、具体的なことが言えるほど頭が切れるわけでもありません。ただ、少しずつ違和感が蓄積しているだけです。妙にぎらぎらした物で溢れた東京の街並みとか、自分が就活をしている際、一年目に営業部署のトップになることがいかに大切かを目を充血させながら教えてくれた先輩とか、いつまでもインフラが整わない“発展途上国”の現状とか。そういう違和感は、自分にとってかなりストレスであると同時に、その資本主義社会のおかげで自分は“豊かな生活”をしているという状況にも一種のやるせなさを感じていました。(まあ今もですが)

キューバに行ってみたいと思い出したのは大学に入ってからだと思いますが、明確なきっかけはよく思い出せません。ただ、オードリー若林さん著作の「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読んだ時は、同じ様なことを思っている人がこんなに近くにいるんだという喜びと、やはり自分もキューバに行ってみなければならないという決意が自然と芽生えたのを覚えています。社会主義国家で生きている人々は、一体どんな顔をしているんだろう、、、。

さて、結果は、話した人ほぼ全員が政府の悪口を言っていました。筆者から聞いたわけじゃありません。彼らが自分から訴えてくるのです。政府がいつまでも閉鎖的な政策をしているせいで自分たちには物資が回ってこない、給料も上がらない、海外旅行なんて夢のまた夢、早く国を開け、、、。アルバイトを少し頑張れば地球の裏側まで来れてしまう日本人からすれば、何と声をかければ良いかわかりませんでした。これが社会主義の行末だということでしょうか。

ただ、ふと思いました。これは、資本主義優勢の世界の中での社会主義の姿なのだと。世界中が足を知り、資本で物事を図らずに社会の平等のために動けば、うまくいくかもしれないのに。

まあこれは単なる理想論なのかもしれません。そもそも人間とは競争したい生き物らしいですから。

ただ、彼らの生き生きとした表情、溌剌とした話し方は、明らかに現代日本人にはないものでした。それらが、彼らのDNAから来ているものなのか、余計なものを削ぎ落としたら人間はああなるのか、それは分からずじまいでした。筆者は今でも仕事で疲れた時、ふとビビッドな彼らに会いたくなるのです。

今日も資本主義社会で、程よくお金を稼いで程よくお金と距離をとってあまり深く考えすぎずに生きていきます。フィデルが見たら軽蔑するでしょうか。

思いの外暗い内容になりました、あはは。

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